hiphopとはなにか?なぜここまで人気が出たのか?

ヒップホップは、1970年代初頭にニューヨークのサウスブロンクスで、主にアフリカ系アメリカ人やカリブ系移民の若者たちの間で生まれた文化です。貧困や社会的な不満を背景に、彼らが自己表現の手段として、音楽、ダンス、アートなどを通じて独自の文化を築き上げました。ヒップホップの起源は、一般的に1970年代初頭とされています。特に重要な出来事としては、1973年8月11日にブロンクスのセジウィック・アベニュー1520番地で行われたクール・ハーク(Kool Herc)というDJによるブロックパーティーが挙げられます。このパーティーで、彼は2枚のレコードを使い、インストゥルメンタル部分(ブレイクビーツ)を繋いで長く演奏するテクニックを披露し、多くのダンサーを魅了しました。これがヒップホップの音楽、特にDJイングの始まりの一つとされています。

ニューヨークのストリートから始まった文化がどうしてこんなにも広がったのでしょうか?

リアルなメッセージとストーリーテリング

ヒップホップの魅力は、一言では語り尽くせないほど多岐にわたりますが、強いメッセージが世の心をつかみました。ヒップホップは、しばしば社会の現実や個人の経験、苦悩や喜びを赤裸々に語ります。貧困、差別、暴力といった厳しい現実から、夢や希望、仲間との絆まで、アーティスト自身の言葉で紡がれるストーリーは、聴く人の心に深く響き、共感を呼び起こします。まるで、身近な人の話を聞いているような親近感と、力強いメッセージを受け取ることができます。

下記の楽曲は、単に不満を述べるだけでなく、問題提起を行い、聴く人々に考えるきっかけを与える力を持っています。時代を超えて、今もなお色褪せないメッセージを放ち続けています。

Public Enemy – “Fight the Power” (1989)

980年代後半から社会に対する強いメッセージを発信し続けたグループ、パブリック・エネミーの代表曲の一つです。人種差別や不正義、権力構造への怒りを爆発させるような、力強いサウンドとChuck Dのシャウトが印象的です。映画『Do the Right Thing』のサウンドトラックとしても知られています。

N.W.A – “Fuck tha Police” (1988)

ギャングスタラップの先駆けとして知られるN.W.A(ニガズ・ウィズ・アティテュード)の過激な楽曲です。警察の暴力や人種プロファイリングといった問題に対し、直接的で挑発的な言葉で不満を表明しています。この曲は、社会的なメッセージを強く発信し、当時のアメリカ社会に大きな衝撃を与えました。FBIから警告を受けるなど、物議を醸した一方で、ヒップホップの歴史において重要な位置を占める楽曲となりました。

Tupac Shakur – “Changes” (1998)

早逝した伝説的なラッパー、2Pac(トゥパック・シャクール)の死後にリリースされた楽曲です。貧困、人種差別、若者の暴力など、アメリカ社会が抱える様々な問題に触れ、変化への願いを込めて歌っています。彼の内省的な一面と社会への強い眼差しが感じられる名曲です。

hip hopの人気を加速させたギャングスタラップ

ギャングスタラップがアメリカで成功した理由は、リアルなストーリーテリングと社会的背景にあります。1980年代後半から1990年代にかけて、N.W.AやIce-Tなどのアーティストが、ストリートでの生活や警察の暴力、人種差別などの現実をリリックに込めました。これにより、彼らの音楽は社会的なメッセージとして広く受け入れられました。

さらに、ギャングスタラップは、若者文化やストリートカルチャーの象徴として、特に白人の若者層にも人気を博しました。その過激な内容が批判を受ける一方で、逆に注目を集める要因にもなりました。また、Dr. DreやSnoop Doggなどのアーティストが商業的成功を収め、ジャンルの認知度をさらに高めました。このジャンルが持つ社会的な影響力や音楽的な革新性が、ギャングスタラップをアメリカ全土でヒットさせた大きな要因と言えます。

ギャングスタラップとは?

ギャングスタラップ(Gangsta Rap)は、ヒップホップのジャンルの一つで、特にストリートライフやギャング文化、社会的不平等をテーマにしたリリックが特徴です。ギャングスタラップのリリックは、暴力、ドラッグ、警察の腐敗、人種差別など、ストリートでの現実を赤裸々に描写しています。そのため、批判を受けることも多い一方で、社会問題を訴えるメッセージとして支持されることもあります。特にN.W.Aの「Straight Outta Compton」や「Fuck tha Police」は、当時の社会状況を反映した象徴的な楽曲です。

ギャングスタラップ有名にさせたアーティストは?

N.W.A

 特にアイス・キューブやイージー・Eなどのメンバーが、ギャングスタラップを通じてストリートの現実を描写しました。彼らの楽曲「Straight Outta Compton」は、ギャング文化とその背景を世界に広めるきっかけとなりました 。

2Pac

1996年9月7日の夜、ラスベガスで友人のマイク・タイソンのボクシングの試合を観戦後、スージー・ナイトが運転するBMWに乗っていたところ、白いキャデラックに乗った人物たちから銃撃を受けました。2Pacは4発の銃弾を受け、6日後の9月13日に大学病院で25歳の若さで亡くなりました。

彼のリリックは、ギャングライフの現実とその社会的影響を深く掘り下げています。彼の音楽は、ギャング文化を超えて、社会問題への意識を高める役割を果たしました。1996年9月13日に銃撃されて亡くなりました。長らく未解決事件とされていましたが、2023年9月には、当時キャデラックに乗っていたとされるドウェイン・キース・デイビス(別名キーフィー・D)が逮捕され、殺人罪で起訴されました。彼は一貫して無罪を主張しています。2Pacの死は、ヒップホップ界にとって大きな損失であり、彼の音楽とメッセージは今もなお多くの人々に影響を与え続けています。

スヌープ・ドッグ

元クリップスのメンバーであり、彼の音楽やライフスタイルはギャング文化の影響を色濃く反映しています。彼の成功は、ギャング文化をポップカルチャーに浸透させる一因となりました。初期のミュージックビデオやライブパフォーマンスなどでC-Walkを披露することがありました。彼のゆったりとしたスタイルに合わせて、クールで流れるようなC-Walkを見せており彼の初期の楽曲や歌詞には、クリップスや「C」に関連する言葉(”Cuzz”:仲間を指すスラングなど)が頻繁に登場しました。

彼のリリックやインタビューでクリップスの背景やストリートライフについて語られることがあり、これがクリップスを世界的に有名にさせるきっかけとなりました。

なぜギャングがCDを発売できる?

 ギャング文化とヒップホップは密接に結びついており、特にギャングスタラップの台頭がその一例です。ギャングスタラップは、ストリートでのリアルな体験をリリックに反映させたジャンルで、N.W.AやIce-Tなどのアーティストがその代表格です。彼らはギャングの視点から社会問題を描き、これが多くのリスナーに共感を呼びました。

ギャングやその周辺のアーティストは、メジャーレーベルに頼らず、独立レーベルを通じて音楽をリリースすることが多かったです。これにより、彼らは自分たちのストーリーを自由に語り、収益を直接得ることができました。これらの要因が組み合わさり、ギャングが音楽を通じて自分たちの声を広めることが可能になったのです。

このようにアメリカのギャングが独自レーベルで成功を収めた背景には、ヒップホップ文化の商業的成功とストリートネットワークの活用が大きく関係しています。特に、ギャングスタラップの台頭がその一例です。N.W.AやDeath Row Recordsのようなレーベルは、ギャング文化に根ざした音楽を通じて、ストリートのリアルな体験を世界に広めました。

NEXT>  ヒップホップ東西戦争の歴史について

コメント

タイトルとURLをコピーしました